GREEN STUDIO
Here is GS, where boundaries dissolve and creativity flows without constraints.
○芸術と共生とが交差する里山アートの実験拠点
景観が美しい出羽三山の麓、羽黒に位置するグリーンスタジオ(GS)は、東京と山形を拠点に二地域居住を実践する現代アーティストと現代アートギャラリーのディレクターによって設立中の里山スタジオです。私たちの活動は「芸術普及の再定義は、今日的なコモンズの再構築を通じた設計によって拓かれるのか?」という問いを追求することから始まります。この問いに向き合い続けることこそがGSの使命であり、そのプロセス自体が創造と対になります。また、活動の指針として、人間だけでなく多様な生物との共生を目指すマルチスピーシーズという視点を取り入れています。
○不確実が常態化する時代を生き抜く、しなやかな創造性
GSの活動は、ポストモダン以降の文脈において、自然や地域社会との営為的共生が持つ力を再評価し、日本の現代アートが在るべき場所やそのあり方を問い直すことに主眼を置いています。東京と山形という離れた二地域を往来することは、単なる都市と地方を行き来するライフスタイルではなく、予期せぬ不可抗力が頻発し、激甚化する現代に対応し、新しい価値を模索するための象徴的かつ深淵をのぞくようなアクションでもあります。例えば、20世紀のダダイズムやフルクサスに見られる「不確実性」や「偶然性」といったアートの文脈を参考に、予測不能な出来事や失敗も創造の一環と捉えるべく意識の変換を図っています。つまり、ある過程において厳しい現実に直面した際、美術史を参考にアイロニーやメランコリーを力に変え、前向きな意義を見出すこと。これこそがGSの特徴であり創造性の源泉です。
○フィールドワークと営為が紡ぐ転回点
GSの第一歩として、山形で農業や川漁といった地域と自然と直接関わる活動が始まっています。これらを私たちは「GSのフィールドワーク」と位置づけています。自然との共生を構築し、人間の根源的な存在意義を問い直すこの活動は、現代社会の課題をアートの視点で再解釈する場となります。地域と都市、自然と人間の関係性をGSの視点で描き出していきます。さらに、日々の「営み」と「現代アート」を融合させた持続可能な価値交換システムを構築し、市場原理に縛られないオルタナティブな芸術取引のモデルを提示することを目指しています。皆様のご支援とご参加をお待ちしています。
○そして今…市場原理の向こう側でのアートの可能性/ GSの挑戦
『The Brooklyn Rail』に掲載されたボブ・ニカス氏の評論「Has Contemporary Art Run Its Course?」が発する問いは、私たちGSの活動にも深く響くものです。ニカス氏は、現代アートという枠組みが時代の中で意味を拡散させ、アートマーケットやギャラリーの商業主義に絡め取られることで、本来の創造性や批評性が失われつつある現状を鋭く指摘しています。
進歩や革新という神話は市場の論理に置き換えられ、商業的に需要の高い作家たちは「より多く、より速く」売れる作品やプロダクトが求められています。しかし問題はそれだけに留まりません。市場構造の波及効果は、必ずしも需要の高くない作家までもが、その流れに同調し、結果として同じ商業的フォーマットや供給サイクルを支える役割を担ってしまうのです。経済学的に見れば、これは市場の「同質化圧力」によって、作家個々の多様な表現や実験性が削がれ、結果的に全体の創造的エコシステムが脆弱化していく現象と言えるのではないでしょうか。立ち戻って現代アートの文脈で見れば、オルタナティブな言語や手法が十分に育たず、むしろ市場に適合する作品様式が再生産され続ける構造です。
こうした構造的な問題は、現代アートの未来を左右する一方、新たな可能性への入口でもあります。私たちGSは、市場中心の構造から一歩距離を置き、地域社会や自然との共生を通じて、芸術が本来持っていた社会的・文化的な力を回復させることを目指しています。これは単なる市場への反発姿勢ではなく「今日的なコモングッド」を基盤とした、持続可能な創造の経路を切り拓く試みです。現代アートが漂流する「空虚な箱」に収まってしまう前に、その航路を組み替えること…それこそが、私たちが今ここで果たすべき使命であり、未来の文化的土壌を耕すための挑戦です。
A Satoyama Laboratory Where Art and Coexistence Intersect
Situated at the foot of the sacred Dewa Sanzan in Haguro, Green Studio (GS) is a nascent rural art space founded by contemporary artists and a Tokyo-based gallery director who practice dual residency between Tokyo and Yamagata. Our work begins with a question: Can the redefinition of art’s dissemination be unlocked through the design of a reconstructed contemporary commons? At GS, sustaining that question is itself our mission, with the process becoming indistinguishable from creation itself. Guiding our practice is a multispecies perspective—an orientation toward coexistence that extends beyond the human to encompass diverse forms of life.Resilient Creativity in an Age of Normalized Uncertainty
Positioned within the postmodern and post-postmodern condition, GS seeks to reassess the generative potential of embedded coexistence with nature and community, while re-situating the role and locus of contemporary art in Japan. Moving between Tokyo and Yamagata is not a lifestyle gesture of urban–rural mobility, but rather a symbolic and abyssal act—a response to an era of accelerating crises and unpredictable contingencies, an attempt to probe new value systems. Drawing on precedents such as Dada and Fluxus, GS embraces uncertainty and contingency not as threats but as integral to creativity. We pursue a conscious shift: when confronted with stark realities, we channel art history’s tools of irony and melancholy into forces of resilience and generative meaning. This is the distinctive ethos—and source of creativity—that defines GS.Fieldwork and Praxis as Turning Points
As a first step, GS has initiated agricultural and river-based practices in Yamagata—direct engagements with land and water we frame as “GS Fieldwork.” These practices construct models of coexistence with nature while interrogating the fundamental purpose of human existence. They provide a platform for reinterpreting societal challenges through the lens of art. GS aims to delineate the interrelations of region and metropolis, of the human and the more-than-human. Beyond that, we aspire to build a sustainable system of value exchange—an alternative mode of art transaction unbound from the dictates of market logic—by fusing daily practices (seikatsu no itonami) with contemporary art. We invite your support and participation in this experiment.The Current Moment: The Potential of Art Beyond Market Logic / GS's Challenge
Bob Nickas’s essay “Has Contemporary Art Run Its Course?” in The Brooklyn Rail resonates deeply with our concerns. Nickas incisively diagnoses how the framework of contemporary art has diffused into the market and gallery apparatus, eroding creativity and critique. The myth of progress and innovation has been supplanted by the market’s logic, where commercially successful artists are pressured to produce “more and faster.” Yet the problem extends further: the ripple effects of this market structure compel even less commercially in-demand artists to conform, sustaining homogenized formats and supply cycles. From an economic perspective, this is the effect of homogenizing pressures—the erosion of diversity and experimentation across the creative ecosystem, leaving it fragile. Within the art-historical frame, alternative languages and methodologies are stunted, while market-compatible styles are endlessly reproduced. This structural predicament, while threatening, also signals an entry point into new possibilities. At GS, we seek to distance ourselves from market-centric paradigms by reactivating the social and cultural force of art through coexistence with local communities and ecological systems. This is not mere reactionary resistance to the market but a constructive attempt to reconfigure sustainable creative pathways on the basis of what we call the contemporary common good. Before contemporary art drifts into the “empty box” of its own enclosure, GS aims to recalibrate its trajectory. This, we believe, is the mission we must enact here and now—a challenge to cultivate the cultural soil of the future.
FIELDWORK INITIATIVES
At GS, we identify our various efforts as part of the "GS FIELDWORK Initiatives"
農園/園主 ー GS FIELDWORK❶
新規就農から始まったグリーンスタジオ農園は、水稲や果樹、露地野菜、施設野菜といった日本農業の主要な栽培手法を幅広く実践している。収量よりも食味の向上を重視し、無肥料栽培や有機栽培に加え、あえて化学肥料栽培にも取り組むことで、多角的な検証を行いながら生産を続けている。 米生産は極めて重要な国家的課題と直結しているにもかかわらず、その重要性が十分に認識されず、複雑な課題も長らく軽視されてきた側面がある。自らその渦中に身を置く者として、見過ごされてきた問題に真摯に向き合う覚悟を新たにしている。米農家の平均年齢がすでに70歳を超えている事実は、それだけでも驚きをもって受け止められる。 近年恒常化する高温や極端な天候を現場で実感する中、こうした環境変動への対応としてスマート農業の導入は不可欠である。農業はGSにとって数あるフィールドワークのひとつに過ぎないが、その実践はプロジェクトの中核を成している。▶︎▶︎▶︎こうしたGS農園の活動は、現代アートにおける「土地」や「生産活動」の再解釈とも響き合っている。たとえば、Agnes Denes《Wheatfield — A Confrontation》は、都市の中心で農業を行うことで、資本主義やエコロジー、土地利用の問題を可視化した。また、Joseph Beuys《7000 Oaks》は、市民とともに木を植える社会彫刻として、都市と自然の新たな循環や「労働」の意味を問い直した。さらに、Hans Haacke《Der Bevölkerung》では、議員が持参した土から自然に草花が育つ様子を通じて、農耕文化と民主主義の本質的な関わりを示している。GS農園の実践もまた、こうした先駆的な芸術的実験と同様に、生活と芸術、経済と美学、個人と共同体のあいだに新たな対話と経験を生み出す現代アートの批評的潮流と共振していると言えるだろう。
最上川支流域/漁師 ー GS FIELDWORK❷
A skilled fisherman who works in harmony with the river's ecosystem and natural rhythms.
River Artisan
日本三大急流のひとつに数えられる最上川は、山と山の間を駆け抜けるように流れている。地元の人々との会話の中で、川魚の魅力に触れる場面に何度も出会った。川魚を獲るには漁業権が必要だったが、ためらいながらも漁業組合を訪ねたことが、GSにとって「川漁」の歴史の始まりとなった。そして、最上川の酸いも甘いも知り尽くした老人との出会いが、「漁師」としての第一歩だった。主に“もくず蟹”漁を行っている。もくず蟹は、金銭を払ってまで味わうものではなく、知る味として地元の風土的文化に根ざしている。漁師にとって商業的な需要は生まれにくいが、こうした土地固有の文化や経済のあり方そのものが、時代の変化とともに新たな交換経済の兆しを示し始めている。▶︎▶︎▶︎こうした営為は、河川が果たしてきた交易や生活基盤としての歴史的役割を想起させるものとして展開される。河川をめぐる歴史や現代的な意味を批評的に捉え直す試みは、現代アートにおけるひとつの動向である。例えば、米国のMark Dionは《The Thames Dig》において、テムズ川の河床を実際に掘り起こし、発見した遺物を考古学的展示として提示することで、人間と川の歴史的関係や都市の記憶を現代に呼び起こした。Allan Sekulaは《Fish Story》において、世界各地の港湾都市の海洋貿易や漁港、水産物流通の現場を、写真やテキスト、資料で可視化し、水辺の労働や漁業をグローバル経済の視点から再考した。さらに、Helen & Newton Harrisonは《The Lagoon Cycle》において、ラグーンや河口域での漁労や水産資源管理、人間と水環境の共生を、詩的かつ科学的に表現し、環境政策や学術との協働を通じて、エコロジカル・アートの古典的作品として位置づけている。GSの活動もまた、土地固有の知恵や風土文化、水環境と人間活動の関係性を批評的に掘り下げている。
菓子補 / 菓子職人兼店主
It’s not just the natural beauty that draws you in. Have you seen landscapes born of daily human work? Here, in the Farmer’s In where signals wane, the simple harvest and taste of crops nurtures a rare sense of satisfaction.
comingsoon
80代半ばの老舗菓子舗店主(ご夫婦)のもと、私たちは「イカ入り饅頭」を中心に製菓めぐる時間そのものを実践的に学んでいる最中だ。包む手のひらの温度、立ちのぼる蒸気の匂い、季節によって微細に変わる餡の機嫌、そうした細部に宿る記憶を受け取り、いずれは飛島の名物を託される未来を思い願うと、この継承の現実はどこか幻想めいてすら感じられる。見習いが身につけるのは、技術だけではない。店が長い年月をかけて地域と結んできた約束事、売り手と買い手のあいだに生まれてきた場の空気、そして素材を育んできた土地との応答関係。そうした関係性の総体を、自分のなかへ沈めていく。一番難しい、ただそれだけのことだ。▶︎▶︎▶︎こうした営為は、地域の食文化が育んできた「手の記憶」や「場の継続性」を、単なる技術伝承ではなく、社会的・生態的な文脈のなかで再考する契機として立ち上がってくる。現代アートにおいても、土地に根ざした食物生産や労働、素材の循環を扱う試みは、1990年代以降のエコロジカル×地域実践の文脈で明確な位置を占めてきた。特に、参加を通じて場との関係性を生成する作品群は、物質(食・器・道具)を介して来場者同士の社会的相互作用を生み出し、そのプロセス自体を作品として提示する例がある。Nicolas Bourriaudが「関係性の美学」として整理した議論は、Rirkrit Tiravanijaの食事作品をその代表例として位置づけている。また、Theaster Gatesのように陶芸や建物の再生を職能と地域文化の往還へとつなぎ、制作や修復そのものを地域の社会的インフラに結びつける動きは、職能が単なる技術を超えて公共性を担う可能性を示していた。さらに、伝統的な発酵・陶器・食器の技法に関する国際的な研究や作家実践は、土地固有の保存文化や素材循環の知恵が、現代アートにおいてどのように参照され、再解釈されうるかを示している。たとえば、ヨーロッパの Ursula Biemann は、土地の発酵・保存文化や資源循環に関するフィールドリサーチを映像・インスタレーション作品として提示。地域の食文化や生態系を作品の中心に据えることで、文化的記憶と環境の関係を同時に可視化している。こうした知の蓄積に呼応するように、近年の研究ではローカルな食文化や発酵技術が多種多様な微生物圏・生態系との協働関係として捉えられ、文化—生態—技術の三者循環を再定義する議論も展開されている。GSの営為もまた、単に技術や味を受け継ぐだけでなく、場に蓄積された関係性を批評的に再読し、地域の生態・技術・文化のつながりを再提示する位置にあると言える。
百姓宿 [共創の庵] / 迎人
It’s not just the natural beauty that draws you in. Have you seen landscapes born of daily human work? Here, in the Farmer’s In where signals wane, the simple harvest and taste of crops nurtures a rare sense of satisfaction.
comingsoon
なぜだろう。農家として土いじりを始めるうちに「知ってもらいたい」という感情が次第に湧き上がってくる。汗をかき日銭を稼ぐという現実を伝えたいのだろうか。東京ドーム幾つ分の圃場で稼いでいるのを誇示したいのか、美味しい野菜を食べていることをアピールしたいのか…エゴなのかもしれない。いや、それでも構わない。もし少しでも興味を持ってもらえたなら、GS版農家民泊「百姓宿」にぜひ足を運んでほしい。現在、改修中のため正式な開業には至っていないが、実はすでに友人の受け入れは始まっている。携帯が繋がらないこともしばしばあるが、夏目漱石や宮沢賢治の全集を開く時間を保証できる、そんな滞在を約束する宿だ。また、百姓宿には「共創の庵」を設ける予定だ。創造する人々が専念できる質素な小屋…「庵を結ぶ」場として構想した。当初は現代アート作家を想定していたが、羽黒の古屋で風景や土地の風俗に触れ、分野を問わず開かれた場にしたいと考えるようになった。料理家、登山家、ライター、研究者など多様な創造実践者が交わり、互いに刺激し合う拠点にしたい。▶︎▶︎▶︎農園に身を置き、作物を育て、地域と交わりながら、その空間そのものを滞在や制作の場として開くこと・・・こうした日常の営みは、社会や人々の価値観を静かに問い直す力を持っている。たとえば、米国・ネブラスカ州の《Art Farm》。農場全体をアーティスト・レジデンシーとして開放し、納屋や農地を保存・再活用しながら、滞在制作や屋外彫刻、サイトスペシフィックな作品が生み出される場となっている。アーティスト同士の共同生活のなかで、農場そのものが作品の一部=展示地となっている。また、アイルランドの《Cow House Studios》では、家族経営の農場を拠点に、アーティスト自らがスタジオやレジデンシー、教育プログラムを継続的に運営している。農場の風景や労働、日常がそのままアートプログラムや作品制作に取り込まれ、地域との新たな接点が生まれる。滞在制作は地域行事や教育と結びつき、そこに生きる物語が作品に宿る。さらに、米国・カリフォルニア州の《Pie Ranch》では、食と農を軸としたコミュニティ農場で、アーティスト向けのレジデンシーが運営されている。食の正義やアグロエコロジーといった社会的テーマを主題に、滞在そのものがリサーチや作品化の素材となり、地域の食文化や農労働の現場が新たなまなざしで捉えられる。このように、GSが考える今日の営為のあり方は、農地に根ざした日常や労働、地域社会との共生、そしてそこから生まれる多様な創造性が、従来の枠組みを超え、新たな価値や視点を静かに拓いている。
土物店 / 市番
Tohoku's produce is more than food—it's nature’s art. Shaped by time, weather, and farmers' care, it reflects art’s unpredictability and richness. This shop curates these creations, bridging people and nature. By tasting and preparing them, you join a process where consumption becomes creative expression.
comingsoon
学校給食が子どもたちの栄養・健康の下支えになっていると指摘されている。背景に、共働き世帯の増加に伴う自炊時間の減少があるようだ。自炊にかける時間など食事に費やす時間が、その質と正の関連を示す研究も報告されている。現代社会で“豊かな食”を巡る研究が蓄積しているのは、同時に、豊かさを欠いた食事が生じやすい環境が広がっていることの表象でもある。長期住宅ローンや奨学金返済を抱える現役世代は時間的余裕を持ちにくい。“作り手”として私たちが取り得る手立ての一つは、直接、生産物を手渡す機会になる『土物店』* を設け、暮らしの中の〈ゆとりの時間〉を生み出すことだ。▶︎▶︎▶︎世界を見渡せばフードデザート問題など、ある種、似たような食の問題が溢れている。こうした状況は、例えば Mary Mattingly によるニューヨークでの《Swale》のように、都市空間で自由に食にアクセスする可能性を問い直す実践や、Stefen Chow の《The Poverty Line》が写真を通じて世界各地の食の格差を可視化してきた活動に象徴される。また、Futurefarmers が参加型プロジェクトを通して農や食の現場に新たな対話と創造の回路を開いてきたことも挙げられる。高山明が「モデルルーム:池袋レンタルビデオ店」の形式を用いて都市の物語と個人の体験を可視化したように、アートは日常の場やサービスの形式を通じて、社会や暮らしに新たな視点をもたらしてきた。私たちGSの実践もまた、そうした表現的史実の流れを受け継ぎながら、その場限りでは終わらない問いやまなざしを、次の世代へと静かに手渡していく営みとして、今この場所に根を下ろし始めている。
報告文学 / 記録者
Believing in the value of capturing and archiving what is present, we dedicate ourselves to this platform. It is our responsibility to record today’s fleeting moments, aware of their inevitable transience.
comingsoon
報告文学とは「ルポタージュ」である。東北地方を行き来していると、今、アーカイブしなければ埋もれてしまう「営為」が溢れている。そういう意味では宝の山だと思えるのだが、当たり前の古い日常に目を向ける者は著しく少ない。私たち自身の営為を紡いでいくと、「当たり前の古い日常」に入り込む瞬間が訪れる。入れ子のように内側からそれらを覗くと、何か見え方が変わる。記録しなければ二度と出会えない一瞬が過ぎ去っていく。▶︎▶︎▶︎こうしたまなざしは、アートの領域においても、見過ごされてきた生活の痕跡や断片を共同性の場へ引き戻す営為と響き合っている。たとえば、Gerhard Richterが報道写真や日常のイメージを再構成し、歴史や記憶を新たな視点で問い直した方法や、柳幸典の《The World Flag Ant Farm》がアリの営みを通じて社会構造や日常の行為を可視化した試み、さらにMarina Abramovićの《リズム0》が観客との一瞬一瞬の体験を記録し、人間の本質に迫ったパフォーマンスなどは、まさにこの営為をめぐるアーカイヴ的想像力と地続きにある。文化人類学的にいえば、「当たり前の古い日常」は厚い記述(thick description)によって立ち上がる。炊事や漁具の手入れといった行為の細部や、季節のリズムを嗅覚・触覚・聴覚まで含めた感覚民族誌として記録し、語りの揺らぎを重視するオーラル・ヒストリーと、当事者との共同編集を重ねて〈関係〉と〈場〉をアーカイブ化する。アーカイヴは中立ではなく、何を見せ、何を隠すかを意識して設計される。人間と非人間の関係網を問うマルチスピーシーズ人類学的視座とも通底するこの実践は、柳田國男の『遠野物語』や宮本常一の『忘れられた日本人』の系譜に連なり、見過ごされた痕跡に耳を澄ませ、人と他者、産業とケアが交差する「協働の風景」を描き出す。私たちGSは、SNS上では表現しきれないその一瞬を文学していくつもりだ。
ミウラ アヤ 「境界を溶かし創造性が制約なく流れる場でしょう。」
私のクリエイティブ活動の道のりは、初期の「空間を司る造形」の探求から、現在のフィールドワーク的な実践者としての活動へと繋がっています。大学院まで深く研究し制作したのは、造形物や古材を配したインスタレーション作品です。この活動において、私が特に重要なポイントとして追求していたのが、「パーソナルスペース(個的空間)」の概念でした。物質や造形が持つ力によって、観客の身体と空間の間に生まれる境界線や、心理的な距離感を操作すること。そして、その「パーソナルスペース」の変容が、人々の体験や認識にどう作用するかを研究していました。この期間に培った、空間構成力と、人とモノ・場との関係性に対する深い洞察は、私の全てのクリエイティブな仕事の基盤となっています。その後、私の表現構造は「空間の造形」から、さらに一歩踏み込み、「機能と制度を遂行する」アプローチへと拡張されました。その展開の中心にあったのが、「ペルソナをまとう」という手法です。私は、蕎麦職人や寿司職人、華道家といった専門的な「職人」の技術を深く習得し、公衆衛生法などの現実の法的制約の下でサービスを提供するパフォーマンスを行いました。これは、初期に探求した「パーソナルスペース」を「サービスを提供する場」、「商品が交換される社会的な機能の場」という、より現実的な設定へと移行させる試みでした。単なる仮装ではなく、実際に観客(顧客)と「商品」を交換する関係性の場を創出することで、アートと社会機能の境界を問い直したのです。【実践経験の統合:「GREEN STUDIO」への接続】アートプロダクション「iori production」でのジョイントにおいて、食と美学を融合させた「芸術レストラン」プロジェクトにサポーターとして参加。この活動の流れの中で、私は蕎麦職人や寿司職人といった専門的な「職人」のペルソナを引用した企画展覧会を開催しました。この展覧会と「芸術レストラン」への関わりを通じ、初期の「パーソナルスペースのデザイン」と後の「サービスという機能の遂行」という二つの柱が、実践的なディレクション経験として統合されました。これらの経験を通じて得た「体験と空間をデザインする力」を土台として、私は今「GREEN STUDIO」において、過去の知見を統合し、変現する現代アート美術家として新たなクリエイティブ・プロジェクトの実現を目指しています。
オカモト マサヒロ 「そうだね、少し強引にさ、端的にまとめちゃうと。」
私のキャリアは[実はあまり公に話した事はないのですが…美術の道に進む前、家業の事情から、わずかながら、築地の卸で丁稚奉公的な経験があります▶︎▶︎▶︎]美術品が持つ「価値」の生成と流通を、多角的な視点から深く経験することから始まりました。私はキャリアの出発点として、老舗古美術店、業者間交換会、百貨店美術部、公開オークション、そして現代アートギャラリーといった、美術品市場のあらゆる流通チャネルを横断的に経験しました。これにより、古典美術から現代アートに至るまで、「モノの真の価値」を見抜く確かな審美眼と、市場の構造、そして顧客との信頼関係構築の機微を徹底的に学びました。なかでも「もの派」の代表的な作家が所属していた現代アートギャラリーでの経験は、私の視点を決定づけました。既存の形式にとらわれない本質的な表現、そしてアートが社会と空間に介入する力を深く理解し、以降の活動の原点となりました。この幅広い経験を基盤に、私は現代アートギャラリーの運営とアートを基軸としたプロデュース活動を通して、文化的な価値創造を実践するディレクターとしての道を歩み始めました。2013年春、東京都北区・飛鳥山の地に、現代アートギャラリー「GALLERYAN ASUKAYAMA」を開設・運営をスタート。古の桜の名所という歴史的背景を持つ立地で、「庵を結ぶ」というコンセプトのもと、白壁と畳の独自の空間で展覧会を企画・実施しました。国内外への現代アートの発信拠点として、また硬質な美術批評プロジェクトも展開し、多角的な視点から現代美術の議論を深める場を創出しました。その後、アートを社会や他分野とつなぐことを目的に、アートプロダクション「iori production」を設立。アーティストマネジメント、イベントの企画運営に加え、美術館などの美術展覧会専門施工会社のショールーム・ギャラリーのエキシビションプロデュースまで幅広く手がけ、既存の枠組みを超えた数多くのプロジェクトを推進しました。なかでも、東京都豊島区・巣鴨地蔵通りにて「アート」と「食」を融合させた「芸術レストラン」のプロデュース・開店は、私のアートディレクションのキャリアにおいて重要な転機となりました。この異分野コラボレーションの成功体験と、空間・体験デザインへの深い知見が、現在のプロジェクトベースで実践者として携わる「GREEN STUDIO」の設立・運営へと結びついています。「GALLERYAN ASUKAYAMA」で培った本質を見抜く審美眼と「iori production」で実現した革新的なプロデュース経験を活かし、これからもアートを核とした新しい価値と体験を社会に提案し続けます。
YAMAGATA 松ヶ岡
We have taken on an old house that stands quietly at the foot of Yamagata’s sacred Dewa Sanzan, working each day to restore it with care. In time, I hope to transform it into a farmhouse inn or restaurant, and each effort is part of that journey. Even now, I welcome guests to share in its quiet beauty.
TOKYO 飛鳥山
Tucked away in a quiet neighborhood near Tokyo's Asukayama—an area renowned since the Kyōhō era of Edo for its blooming Somei-Yoshino cherry blossoms—lies a white-cube gallery of contemporary art. Beyond exhibitions, it opens its doors to artists in residence, sometimes transforming into a dining space, where culture and lives intersect in subtle harmony.
©️ GREEN STUDIO 2025.